特殊清掃という、社会の澱みが溜まる場所に自ら飛び込む仕事をしていると、人間の生活の極限状態を嫌というほど目にすることになります。私がこれまでに経験した現場の中で、最も記憶に焼き付いているのは、ある六十代の男性が住んでいたゴミ屋敷の寝床です。その部屋は、玄関の扉を開けた瞬間から天井までゴミが詰まっており、住人はそのゴミの山の下に、モグラの巣のような横穴を掘って暮らしていました。寝床は、その穴の突き当たりにあり、周囲はびっしりと古新聞と空き缶で固められ、床面は長年の油汚れと生ゴミが発酵してできたと思われる、正体不明の黒い粘土のような物質で覆われていました。驚くべきことに、その男性はそこで十枚以上の毛布を重ね、その重みで自分を押し潰すようにして眠っていたそうです。作業中にその寝床を解体していくと、毛布の間からは大量のゴキブリの卵と、いつのものかも分からない食べかけのパン、そして色褪せた家族写真が数枚現れました。彼は、かつての幸福な記憶をゴミという物理的な重みの中に閉じ込め、外部からの干渉を一切拒絶して、その暗い穴の中で一日の大半を過ごしていたのです。このような極限の寝床を作り上げてしまう人々に共通しているのは、例外なく「深い絶望」と「社会的な孤立」です。彼らにとって寝床は、単なる休息の場ではなく、この残酷な世界から逃げ込むための、最後にして唯一の砦なのです。私たちがゴミを袋に詰めるたびに、住人が自分の体の一部をもぎ取られるような悲鳴を上げる場面に遭遇することもあります。それは、彼らにとってゴミこそが自分を構成する要素の一部となってしまっているからです。しかし、作業が進み、数年ぶりに現れた本来の床板を見て、住人が静かに涙を流す瞬間もあります。ゴミの山に埋もれていた自分が、実は冷たく硬い、しかし確かな地面の上に立っていたのだと思い出す。その瞬間に、彼らの中に眠っていた「人間としての感覚」が呼び覚まされるのです。私たちの仕事は、単に汚物を片付けることではなく、ゴミという名の壁を崩し、その奥に閉じ込められている住人の魂を、光の当たる場所へと連れ戻すことなのだと、極限の寝床を見るたびに痛感します。ゴミ屋敷の寝床は、人間がどこまで孤独に耐え、どこまで環境に適応できてしまうかを示す、悲しい記録でもあります。その記録を塗り替え、新しい生活の第一歩を支えることが、この過酷な現場に立つ私たちの使命なのです。
特殊清掃現場の証言に見る極限の寝床とその住人の肖像