ゴミ屋敷が辿る最も静かで、しかし最も悲痛な末路が孤独死です。セルフネグレクトの極致に達した住人は、自身の健康状態が悪化しても病院へ行くことを拒み、誰にも助けを求めることなく、ゴミの山の中でひっそりと息を引き取ります。ゴミ屋敷での孤独死が恐ろしいのは、その発見が著しく遅れるという点にあります。もともとゴミから発生している悪臭があるため、遺体の腐敗による異臭が周囲に気づかれにくく、郵便受けが溢れていても「いつものこと」として見過ごされがちだからです。発見されたとき、住人はゴミの斜面や、わずかに確保された「モグラの穴」のようなスペースで横たわっています。遺体の一部が害虫に損なわれていたり、ゴミの山に埋もれて一部がミイラ化していたりといった凄惨な状況は、特殊清掃員ですら息を呑むほどです。亡くなった後も、その末路は残酷です。ゴミ屋敷という不衛生な環境で亡くなった事実は、親族にとって大きな精神的苦痛と多額の清掃費用の負担を強いることになります。また、孤独死が発生した物件は「事故物件」としての烙印を押され、資産価値は暴落し、大家や近隣住民に対しても多大な迷惑をかけることになります。葬儀を行うにしても、故人がどのような生活を送っていたかを知る人がいなければ、あまりにも寂しい別れとなります。ゴミ屋敷での最期は、人間が生きてきた証さえもゴミの中に埋没させ、その死を「片付けられるべき汚物」として扱われるような悲劇的な結末を招きます。誰にも看取られず、ゴミの中で命を終えるという末路は、現代の孤立社会が産み落とした最悪の闇です。こうした結末を避けるためには、ゴミを片付けるという物理的な行為以上に、人との繋がりを再構築し、自分の命を投げ出さないという強い意志を取り戻すことが不可欠です。しかし、一度ゴミ屋敷の深淵に落ちてしまった人が、自力でその手を伸ばすことは容易ではありません。孤独死という末路は、個人の責任という言葉で片付けられない、社会全体の連帯の欠如を映し出す鏡でもあるのです。