キラキラとしたSNSのタイムラインの裏側で、私は「汚部屋女子」という、もう一つの顔を持って生きていました。おべや、という読み方すら恥ずかしくて口に出せなかったあの頃、私の生活は完全に崩壊していました。外では清潔な服を着て、流行のメイクをして笑っていても、一歩玄関を開ければそこにはゴミの山と、異臭を放つキッチン、そして洗濯物の山に埋もれたベッドが待っていました。汚部屋(おべや)という言葉を初めて知ったのは、深夜にスマートフォンで片付けの方法を検索していたときです。その濁音混じりの響きは、まさに私の部屋の淀んだ空気をそのまま音にしたかのようでした。自分の部屋を「お部屋」と呼べないという事実は、私が自分自身を女性として、あるいは一人の人間として大切にできていないという現実を、鋭く突きつけてきました。食事はすべてコンビニの弁当をゴミの上で食べ、お風呂に入る気力もなく、ただ眠るためだけに帰る場所。それが私の日常でした。なぜこうなってしまったのか、自分でも分かりませんでした。仕事のストレス、解消されない孤独、そして「ちゃんとしなければ」という強迫観念が、逆に私から動力を奪っていったのです。しかし、汚部屋女子という言葉に救われた部分もありました。同じように苦しんでいる女性たちがネット上に溢れていることを知り、自分だけではないのだと少しだけ安心したのです。でも、その安心は依存へと変わりそうになりました。「みんなも汚部屋だから、私もこのままでいい」と思ってしまいそうになったのです。でも、ある冬の朝、窓に張り付いた結露がゴミに垂れてカビが発生しているのを見たとき、私は強烈な嫌悪感を覚えました。このままでは私の人生そのものがカビてしまう、そう直感したのです。私はその日、初めて自分の部屋を「おべや」と声に出して読み、そして「さようなら」と言いました。片付けは過酷でしたが、少しずつ見えるようになってきた床の白さは、私の心の曇りを晴らしてくれました。今、私は整えられた空間で、本当の意味で自分を慈しむ時間を過ごしています。汚部屋女子だった過去を否定はしませんが、あの日々に戻ることはもうありません。清潔な部屋で飲む一杯のコーヒーが、これほどまでに美味しいものだとは、あの日々の私には想像もできなかったことなのです。