かつて私は、ゴミ屋敷の住人でした。その事実を公にすることは、自分の人生の最も暗く、恥ずべき部分をさらけ出すことと同じであり、今でも胸が締め付けられるような思いがします。しかし、同じようにゴミの海で溺れそうになっている誰かのために、私の経験を語る責任があると感じています。私の部屋が汚部屋からゴミ屋敷へと変貌していったのは、仕事の挫折と失恋が重なり、生きる気力を完全に失った時期からでした。最初はコンビニの袋を捨てに行くのが面倒になり、それが一週間、一ヶ月と積み重なるうちに、床が見えなくなり、やがてゴミの高さは私の腰を越えました。その頃の私の寝床は、かつてセミダブルのベッドがあった場所の上、天井からわずか数十センチの隙間にありました。ゴミの上に薄い布団を敷き、その上にさらに服を重ねて、私は毎日その「頂上」へと這い上がって眠りについていたのです。不思議なことに、ゴミに囲まれていると、不思議な全能感というか、世界から隔絶されたような静かな安らぎを感じていました。悪臭にも鼻が慣れ、這い回る虫さえも、自分の孤独を共有する同居人のように思えてくる。それがセルフネグレクトという病理の恐ろしさです。私の寝床は、私の心の空虚さを物理的な物量で埋め尽くした結果の成れの果てでした。転機が訪れたのは、数年ぶりに訪ねてきた姉が、私の部屋の扉を無理やり開けたときでした。彼女の悲鳴に近い泣き声を聞いたとき、私は自分が築き上げてきたこの「聖域」が、実は自分自身を生き埋めにしている墓場であることに気づかされたのです。そこから清掃業者を呼び、私の寝床を解体する作業が始まりました。何層にも重なったゴミの下から、かつて大切にしていた本や、ボロボロになったシーツが現れたとき、私は自分の過去と向き合う激しい痛みに襲われました。ゴミが運び出され、最後の一袋が部屋から出たとき、現れたのは、カビで真っ黒に変色した床と、何もない、あまりにも広すぎる空間でした。私はそのガランとした部屋の中央で、泣き崩れました。自分の殻を失ったような不安と、ようやく呼吸ができたという安堵が入り混じった涙でした。新しいベッドを買い、真っ白なシーツを広げた夜、私は数年ぶりに、ゴミの気配のない清潔なシーツの香りに包まれて眠りました。それは、私にとっての再生の儀式でした。ゴミ屋敷の寝床は、一時の安らぎを与えてくれますが、それは毒の入った蜜のようなものです。本当の安らぎは、自分を大切に扱い、風の通る場所で眠ることから始まります。今、私は毎朝、窓を開けて朝日を浴びるたびに、あの日々に戻らないことを自分に誓っています。
ゴミの山に埋もれた眠りから目覚めるための再生の儀式