「周りの人は、この家をゴミ屋敷と呼びます。でも私にとっては、ここにあるのはゴミではなく、私の人生そのものなのです」。そう静かに語るAさん(78歳)の部屋は、壁一面が古い衣類や紙袋で埋め尽くされています。なぜこれほどまでに物を溜めてしまったのか、その真意を尋ねると、そこには失われた時代への深い愛着がありました。Aさんは、高度経済成長期の忙しい時代を、懸命に働き、家族を養ってきました。部屋にある一つ一つの物は、その時代の自分が確かに存在し、戦っていたことの「証言者」なのです。例えば、山積みになった古い雑誌。そこには、かつて夢見た生活や、行きたかった場所の景色が閉じ込められています。たとえ今はもう行くことができなくても、その紙を指でなぞるだけで、若かった頃の自分が呼び起こされると言います。また、壊れた古いカメラや使い古した万年筆、それらを捨ててしまうことは、それらと共にあった幸福な記憶を永遠に葬り去るようで、指一本触れさせることも恐ろしいのです。独り身になったAさんにとって、部屋の沈黙を埋めてくれるのは、これらの物たちが発する無言の気配でした。物が多ければ多いほど、かつての賑やかだった生活がまだ続いているような錯覚に陥ることができ、孤独を忘れられたのです。世間が言う「衛生的」「効率的」という言葉は、Aさんにとっては冷たく鋭利な刃物のように感じられました。ゴミ屋敷と呼ばれる場所には、住人の数だけ切実な物語があります。外部の人間がそれをゴミだと断定した瞬間、住人の誇りは傷つき、ますます内にこもってしまいます。必要なのは、まずその物たちが持つ「物語」を聴くことです。「これを大切にされてきたんですね」「素敵な思い出ですね」という共感の言葉があって初めて、住人は「これなら手放してもいいかもしれない」という心の余裕を持ち始めます。物はいつか壊れますが、心の中にある思い出は消えません。ゴミの山を整理する作業は、物質としての重荷を下ろし、純粋な記憶として心の奥底に仕舞い直すための、極めて個人的で神聖なプロセスなのです。
捨てられない老人が吐露するゴミの山に隠された人生の断片